うま〜い話のK

サクラシンバー(桜珍馬)

 事実はマンガよりも奇なり。「優駿の門」のボムクレイジーよりもクレイジーな馬が県競馬にはいた。
 4歳時(旧)は青山記念優勝、新潟グランプリでセントエリアスの2着、5歳時(旧)初戦は若草賞優勝と大活躍。ただ、能力はあったが、気性が悪すぎた。

1986年の第7回豊栄大賞典
 ゲート内で膠(こう)着し、ようやくゲートから2、3歩出たものの、立ち止まってしまい、あん上の赤間亨騎手が押しても引いても動かない。結局は無念の競走中止。
 ボクは馬券を握り締めながら、思わず「かんぱい!」と叫んでしまった。

注:かんぱいは「乾杯」ではなく、競馬でいう「スタートのやり直し」のこと


1986年・春の中央競馬騎手招待

 な、なんと「世界の岡部」が県競馬に参戦した。
ただし、手綱を取った馬が村松きゅう舎のスズカドラゴン。 9歳という高齢馬で、前走は1年ぶりに連対した馬だった。
レースでは 6番人気。しかも途中で故障を発生してしまい、競走を中止。これが「世界の岡部」の逆鱗?に触れた。以来、岡部は14年間もの間、県競馬の土を踏むことはなかった。

余談:騎手招待の場合、騎乗馬は抽選で選ぶが、この一件以来、中央の人気ジョッキー(武豊など)は、実力馬に騎乗するようになった。



人気どおりの着順で決着

 三条競馬8頭立て(フルゲートの9頭だったかも、年月日は不明)
1着〜8着までが1〜8番人気と、人気順どおりにゴールイン。



妹、姉、兄で1〜3着を独占

 1990年9月10日、新潟競馬・アラブ一般A1、1,800m、9頭立て
同じきゅう舎の兄弟馬が1、2、3着を独占した。
1着はシネマドーター(牝5歳)、2着はアサクラバット(牝7歳)、3着はアサクラドラゴン(牡6歳)。いずれも父はアリラバット、母はドラゴンシスターの全兄弟で、佐藤昇きゅう舎所属。妹、姉、兄の順でゴールした。