一券楽着のB

 @酒井騎手の災難

 記者としても、いちファンとしても、競馬を観戦していてあんなシーンを見たのは初めてだった。それは1991年7月11日、三条競馬場で目撃した。その年の春から酒井忍騎手(現在は川崎所属)がデビューしたが、これはそんな新人騎手を襲った不幸というか、笑える「事件」だった。
 事件は8R「サラ4歳B級優勝」(1600m)で起こった。瀬高きゅう舎のコウリューパワー(牝)に騎乗した▲51キロ(当時は2キロ減)の酒井騎手は1枠から好スタートを切った。優勝戦、新人騎手ということで人気は全くなかったが、それでもヤル気満々の新人だけに「とにかく見せ場をつくりたい」と思う気持ちからか1周目のホームストレッチでは3番手をキープした。先行馬有利の小回りコースだけに「波乱」を演出するのか?と一瞬思わせたが、結果は別の意味で「主役を喰う名演技」を演じてみせた。
 1周目のホームストレッチを軽快に走り抜けたところまでは良かったが、次のコーナーへ向かう寸前に、鞍ずれが発生。まずスポンジが落ちてオットット…向正面ではゼッケンが外れて、3コーナーでは毛布とダルマ(正式な名称は?)も落ちた。残っているのは鞍と腹帯。もちろん、酒井騎手はアブミが外れた状態に…。いつ落馬してもおかしくない状態だったが、酒井騎手はサーカスの曲芸のように、巧に馬を操っていた。最後は裸馬同然となったコウリューパワーの首にしがみつき、なんと最下位ながらゴールまでしてしまった。「ゴール」に対する執念というか、騎手の本能というか…現在は一流ジョッキーとして活躍している酒井騎手だが、新人の時からただ者ではなかったのだ。ちなみに、ゴールはしたが、後検量で2キロ不足ということで、あえなく失格。そして、瀬高調教師は馬装不備のため10日間の賞典停止となった。新人記者の私は「レース展開」(双眼鏡でHS、BS、4コーナーの各馬の位置取りを記録)を担当していたが、酒井騎手にばかり目がいってしまいレース展開はとれず、あとで上司に怒鳴られたことを覚えている。

 Aこれにて一券楽着

 私は酒井騎手がデビューしたのと同じ1991年春に入社。入社する前の年に「研修」という名目で競馬場の記者席に行き、諸先輩方の仕事ぶりを見る機会があった。学生時代から競馬にハマり、いかに勝ち馬を予想することが難しいか分かっていたつもりだが、私はそこで凄いシーンを目撃してしまった。その日のレースは荒れていて、万馬券が3つも出ていたが、私の目の前にいた記者はその3つともゲット。記者席にいた新聞記者と、お茶などを入れてくれるオバさん一人ひとりに5000円ずつ祝儀を配っていた。そんな馬券師を目の当たりにした私は「給料をもらえて、馬券で副収入もいただける。こんなオイシイ職業はない」と他に内定していた会社を断り、この会社に入社することを決めた。

  しかし、現実はそんな甘いものではなく、入社すると諸先輩方は「馬券を当てることはできても、大儲けは難しい」と口をそろえる。「でも、あの時…」(研修の時の万馬券3連チャン)と私が言うと、馬券師は「たまたまだよ。長年やっていれば、あんなこともある。たまたま…」と返ってきた。

  「何とかいい情報を」と思い、初めてきゅう舎廻り(取材)に行った時には、ある調教師からは「取材拒否」されるありさま。当時はきゅう舎で働く調教師、厩務員、騎手など、取材に対しては敏感に反応していたようで、本音を聞き出すことは難しかった。「取材する側に問題があるのか?」壁にぶち当たり、なかなか仕事がうまく行かないため、ため息をつく日々が続いた。しかし、ある日のきゅう舎廻りで私を驚愕させる出来事が起こった。

 その日もいつものように取材拒否を続ける調教師のところへ出掛けたが、いつも通り門前払いをくらい肩を落としていると、厩務員さんが馬に乗って近寄ってきた。「おい、今日も話は聞けなかったのか?」「オマエ、うちの先生に嫌われているからなぁ」と笑いながら言った。私が泣き出しそうな顔をしていたのかは分からないが、その厩務員さんは「オマエら新聞屋は馬券を買えるのか?」 と続けた。私がうなづくと「今日のレースにミスターリーって馬が走るから、ちょっと馬券を買ってみろよ」と言うと、また馬に乗って行ってしまった。慌ててポケットから今日の新聞を取り出し「あの厩務員さんのきゅう舎にミスターリーなんて馬いたっけ?」と思いながら「ミスターリー」を探した。その馬は9R(サラ一般B2ロ組)にいた。8歳馬で最近3走は7着、6着、8着、新聞の予想欄はきれいに無印で、俗に言うゴマシオの「…」が上から下までだった。しかも、その厩務員が所属しているきゅう舎ではなく、別のきゅう舎の馬。

  何が何だか分からないまま、競馬場へ向かうと取りあえず前売りで馬券を購入した。もちろん、そのミスターリーから流した。レースは後方から直線で一気に脚を伸ばしたミスターリーが1着。2着には1番人気のアームステハニーが入り、10200円の万馬券だった。直線では双眼鏡を持つ手が震えて、ゴールした後もまだ震えが止まらなかったが、万馬券を取ったことよりも、自分の知らない「競馬」がここにある!と魂を揺さぶられた感じがした。

 翌日、例の厩務員さんを訪ねると「どうだ、取ったか?」と笑顔で言ってきた。「ありがとうございました」と即答した後に「でも、なんで?というか…」聞きづらそうにしていた私を察したのか「あまりにもオマエがかわいそうだったからさ」と厩務員。そして「実はアノ馬は俺の親父が担当している馬なんだ」と続けた。「なるほど、それならこの人がミスターリーが勝つことを知っていても納得できる」と心の中でつぶやくと、またその厩務員が「でもよ、オマエらの新聞の評価は甘いな。最近3走の着順は悪いけど、苦手の三条コースの結果だよ。確かに前開催の新潟ではひと息入れさせたけど、それはここで勝たせるため予定通りの休養なんだ。そして次開催からはまた三条開催が続く。それを考えれば馬を勝たせるためには今回しかないだろ」と当然のような顔で言ってきた。「ひょっとして、みんなで無印にしてオマエら新聞屋で馬券をハメたのか?」ガハハ…。

 取材拒否の原因も分かったような気がした。競走馬1頭、1頭…ある程度、その馬の特徴やセールスポイント、前走内容などを知っていないと話にならないということ。県競馬の馬のことを知らない新米記者とは何を話してもムダと思われたようだ。それからは、その厩務員さんと仲良くなり、競馬を学び、県競馬を教えてもらった。(余談ですが、パドックでなじみの厩務員さんが馬を引っぱっているとき、私に気づいてニコッと笑ったような気がした時はたいがいその馬は好走した)

  入社以来、穴予想(ブルー新聞「奉行の一券楽着」のコラムを担当)をしてきたが、私の予想の原点はミスターリー。つまり、◎は凡走続きの馬が「勝つ」ということから考える。人気馬の死角を探すことも当然するが、人気薄の馬の勝ちパターンに重きを置いて考える。推理小説も犯人を知らないまま、先を読んでいくと最後のどんでん返しにやられるが、犯人を最初から知っていれば、見落としがちなヒントにも気づくはず。やはり、犯人は犯人らしいことをやっているはずだから…。「この馬が勝つ」という思い込みから始まって、あとは実績、状態、展開…さまざまな予想ファクターを当てはめていく。すると、以外な穴馬を発見!いや、その時点で私の中ではりっぱな1番人気になっている。高配当の馬券を本線でゲットするときの快感はたまらない。

 ながながと続きましたが、お付き合いいただきありがとうございました。