(実はではなくい新聞・うま〜い話の)S.K氏

記憶に残る馬ベスト3
グレートローマン

 入社するまで競馬のケの字も知らなかったボクが、きゅう舎回りで初めて接した馬。涼やかな目が印象的だった。
  どことなく気品が漂う顔立ち、均整の取れたスマートな馬体で、品のよさでは、かの皇帝シンボリルドルフ(同世代)にさえ負けていなかったと思う。わずか半年間の付き合いだったが、ボクに競馬の魅力を教えてくれた。

セントエリアス
 グレートローマンとは対照的に、筋骨隆々の荒武者という感じだった。気性が激しすぎて、中央(未出走)では馬房で暴れ、蹄鉄も満足に打ち込めない状態だったという。
  4、5歳時(旧)に、新潟グランプリで2連覇。県競馬所属馬として初めて中央(地方競馬招待=後のオールカマー)に挑戦し、スタートで出遅れながらも根性で3着に入った(テレビ観戦したが、スタートがまともなら2着はあった)。県競馬を初めて全国に知らしめた馬。
スピードペガサス
 セントエリアスと同じ世代だが、典型的な大器晩成型。6〜9歳(旧)にかけて新潟記念4連覇、しかも9、10歳時(旧)には新潟競馬場で1600mと1800mのレコードを記録した。本命になると新聞には「天馬」の見出しが躍った。まさに、おやじに夢と希望を与えた馬。
思い出のベストレース
入社1年目(1984年)の新潟グランプリ
 セントエリアス優勝、チェリーノーザン2着。
 ボクが見た中で、これほどメンバーがそろったグランプリはなかったような気がする。
  常に王道を歩みつづけたアジャストメント、最後は骨折で幕を閉じた悲運の快速馬リュウフレッシュ、4歳馬(旧)で初めてグランプリを制したイチコウハヤタケなど、個性のかたまりだった。そんな中で、同型がそろい劣勢のチェリーノーザンを2着に粘らせた向山牧の天才ぶり、セントエリアスのレースセンスを引き出した渡辺正治の騎乗テクニックは、強く印象に残った。
1988年の新潟皐月賞
 ツカサアコード優勝、マイティダイヤ2着
 ボクが初めて万馬券を取ったレース。枠連は4−5で16,390円。
マイティダイヤは、このレースをきっかけに躍進。その年の秋には北日本オークスのタイトルまで取ってしまった。弱小(すいません)瀬高きゅう舎の大功労馬。ツカサアコードは後にダービーグランプリで2着。
番外・1985年のジャパンカップ

 シンボリルドルフ優勝、地方のロッキータイガーが2着。 
地方所属馬が世界の舞台で初めて連対に絡んだ。直線ではロッキータイガーに騎乗した桑島騎手がムチをグルグルと回転させて連打。「桑島の風車ムチ」として、今でも語り草となっている。

 トピックス・シンボリルドルフの初仔が三条競馬でデビュー
 
向山きゅう舎のドリームチェス
初年度産駒の中でも全国で一番早くデビュー。スポーツ紙でも大きく取り上げられた。